何が女盗賊だ、お前は今日からティゴだ

何が女盗賊だ、お前は今日からティゴだ


 入り組んだ地下通路を、ただただ走る。

 気温も湿度も地表よりずっと快適なはずなのに、冷たい汗と布地が絡まってこの上なく不快だ。

「皆は……クソッ!」

 悪態を吐きながら、女は前に向き直る。逃げ惑ううち、共に探索していた仲間とは離れ離れになってしまったようだ。

 女は盗賊だ。地下迷宮に湧き出た「愚者の泉」の噂を嗅ぎつけたは良いものの……泉に引き寄せられたモンスターの大群によって目論見はあっけなく瓦解した。

「ッこんな、こんなはずじゃ!」

 悲鳴を噛み殺し、女は走り続ける。全力疾走しているのに足も肺も萎える気配がない。

 数百年単位で魔力を吸収した水は愚者の泉と呼ばれ、飲めばたちまち苦痛や疲労を忘れ去ることができる。女は最深部に到着した際、舌先でそれを舐めていた。

 あまりの美味さと滋養強壮効果からドラッグという側面もあり、表での取引はもちろん、湧き出る場所への立ち入りも厳しく制限されている。

 何度も角を曲がり、死の気配を撒きにかかる。ようやく足音が遠ざかったところで、丁度複数の通路が合流する地点に出た。ここから地表までは、ほぼ一本道である。

「無事だったか!」

「何とか。他の奴らは? アンタだけ?」

 足を緩めた女に、仲間の男が声をかけてきた。頭に巻かれていたターバンは腹に巻き付けられ、そこから血がにじんでいる。

 女の問いに、彼は目を瞑って首を振った。

「自分が逃げるので精一杯さ。お前は?」

「アンタと一緒だよ」

 振り返る暇など、どこにもなかった。悲鳴と、何かが折れたり潰れる音はひっきりなしに聞こえていたが。

 十人以上で探索にやってきて、ここまで生き残ったのは二人だけ。それもまだ安全圏ではない。

「とにかく、ここを出よう。もう地表が近い」

「そうだね……っと。もう追ってきた!」

 弾かれたように立ち上がり、地表へ向け石段を駆け上がる。

「モンスターか!?」

 一拍遅れて男も逃げ出すが、そのふくらはぎを鋭利な何かが貫いた。

 激痛を堪えて振り返った男の目に映ったのは、大きな一つ目のタコ。そいつは銛のような切先の付いた触腕を伸ばし、男の手足を壁に縫い止めた。

「ヒッ……助けろよ、仲間だろ!? ちっ……くしょォォオオ──!!」

 硬い頭蓋骨が噛み砕かれ、中身が啜される音。魂を引き絞るような断末魔が、女の背中にこびりついた。



「はぁっはぁっ……」

 地表に出た女は大きく息を吐きだし、地面にへたり込んだ。生温かい下草の感触が、まだ生きていることを実感させる。

「……これから、どうしようかな」

 ともかく、自分は生き延びることができた。新たに仲間を作り、やり直せば──という思考は、無遠慮な足音で中断された。

「どうもこうもないぜ、盗賊さんよ」

「っ! 誰だい、アンタ」

「賊に名乗る名はねえな」

 くっくっと喉を鳴らしながら、中年の男が女へと歩み寄って来ていた。髭一本とてない浅黒い肌に、皮肉気に細められた目元、ボリューミーな茶髪を後ろでまとめた二枚目である。

 外見だけなら貴族に仕える執事のようにも見える。が、燕尾服の内側から漂う裏稼業特有の血生臭さを女は嗅ぎ取った。

「質問を変えるよ。何の用だい?」

「テメェを助けに来た……とでも言えば良いか?」

「助けに?」

「『愚者の泉』を取りに行って、無事に済むとでも思ったかよ? じきに王国の猟犬共がやって来る」

 女の顔色が青くなる。王国の追手は予想していたが、まさかこれほど動きが早いとは……。

「まあそう怖がるなよ。俺の言うことさえ聞けば、テメェの命は助かる」

「何をさせる気?」

「何てこたねえ。『ゆーしゃ様』の御一行に参加してもらいたいのさ」

「……ハァ?」

 あまりに突飛な話に、女は素の声で返してしまう。何故自分が? 何のために? この男に何の得がある?

「今は理由なんてどうでも良いじゃねえか。大体、テメェに選択肢があるのかよ。俺の話を受けて生きるか、蹴って死ぬかだ。とっとと選べよ」

 疑問を押しつぶすように、男は粗野な笑みを張り付けて女に選択を迫る。これ以上まごつけば殺しに来そうな雰囲気だった。

「わ、分かった! その代わり……後でワケは話してもらうよ」

「そこはクライアントのご機嫌次第だが、まあできる範囲でな。おっと、出発前にこれに着替えな」

 男が差し出したのは、チューブトップ型の薄布。呆気にとられた女は、布を受け取ったまま固まってしまった。

「着替える?」

「装備全部外してそれを着ろ。じゃねえと死ぬぞ」

 汗でびっしょりと体に張り付いた装備類を捨て、女は半裸と言って良い格好になる。言うことを聞くしかないとはいえ、流石に恨みがましい視線を向けてしまった。

 着替え中は背を向けていた男だが、着替えた姿を見て口笛を吹く。

「盗賊やめて水商売はどうだ? 俺は高く買うぜ」

「やかましいよ。……時間がないんだろ」

「あいよ、ついてきな」

 男は追手の動きを把握しているのか、警戒網の隙間を縫うように森を抜けていく。

 歩くこと丸半日、二人は森に近い街へと辿り着いた。

「とんでもなく目立ってるけど、大丈夫なの?」

 露出の多い女はどうしても人目を集める。が、男の方はどこ吹く風。

「目立たせてんだよ。犯罪者が派手な恰好でほっつき歩くだなんて誰も思っちゃいねえからな」

「な、なるほど……」

「分かったら堂々としてろ。……あの馬車だ、乗るぞ」

 男の言い分にとりあえず納得し、女は男に続いて馬車へと乗り込んだ。

「行き先はどこだい?」

「着けば分かる。テメェのよーく知ってる場所だ」

「アタシが、知ってる……」

 言葉の意味を考えつつ、女の瞼は重くなっていく。愚者の泉の効果が切れ、心身の疲労が一気にのしかかってきたのだ。

 彼女が目覚めた時、馬車はレンガ造りの大きな建物が目立つ都市部に入っていた。

「ようやっとお目覚めか」

「ここって……ブルジャワティー?」

 女の生まれた豪邸が、馬車の窓からはっきりと見える。もう帰ってくることはないと思っていたが……。

「ご名答。目的地はテメェの実家だよ」

 馬車のまま乗り入れられる広大な敷地には芝生が青々と敷かれ、建物自体も権勢を見せつけるように華美な装飾が施されている。

「アンタの言ってた『クライアント』って、アタシの親父だったんだね」

「あぁ。あの場でバラすとゴネそうだったから黙ってたんだ」

 悪びれもせずそう返した男は、髪を整えて面会に備える。

 門こそスムーズに開けてもらえたが、出迎えはいない。女も含め客人ではなく、手駒と認識されていた。



「ただいま戻りました」

 男は女の父に会うと、笑顔を柔和なものに張り替えて慇懃に頭を下げた。

 一方で女は仏頂面のまま、目の前に立つ実父と対面する。

 そんな娘を、冷ややかに見下ろす父。

「相変わらず、可愛げのないことだ」

「はんっ。親の躾が悪かったんじゃないのかい」

「……まあ、良い。ここに来たということは、勇者パーティーに参加するということだな?」

「一応ね。ただ、一つ聞かせてよ。勇者パーティーでアタシは何をするんだい? そもそも、アタシみたいな奴が入れるのかい?」

「入れずとも問題ない。入れたとて、何もしなくて良い」

「は?」

「必要なのは貴様の『才能』だけだ。勇者パーティーに人材を紹介した事実だけで我が家の名誉には十分。どうしようもない放蕩娘ではあるが、地下迷宮で野垂れ死なせるには惜しい」

「知ってたんだね……『愚者の泉』のこと」

「たかがゴロツキに掴める情報を、どうして私が掴めないと思う?」

 要するに女の盗賊稼業は実家に筒抜けで、高く買ってくれる相手に売りつけたくなったから男を差し向けた、ということだ。

「貴様はもう、私の娘ではない。これより名を『ティゴ』と改め、勇者パーティーの候補者として振る舞ってもらう。命が惜しければ、この家のことは黙っておくことだ」

「ティゴ、か……。分かった」

 今までの女は、愚者の泉を狙った一味と共に死んだことになるらしい。新しい名前を馴染ませるように呟き、ティゴは与えられた部屋へと戻った。



「ご苦労だった。約束の金だ」

 ティゴが退出した部屋で、ティゴの父は男を労う。

「ありがとうございます。……これは気前の良い」

「この先、勇者パーティーがもたらす利益を考えれば安いものだ」

 袋で差し出されたその額、百万UNY。人探しの報酬としては破格も破格だが、大陸有数の豪商から見れば端金である。

「それにしても、まさか『勇者』以外の全職に適性とは……血統というやつですか。羨ましい限りです」

「そのおべっか、ティゴに教えてやれ。アレは才能頼りの大馬鹿者だ、表で生きるには色々と足りぬ」

「存じております。勇者殿による選抜に間に合うよう尽力します」

「アレの仕上がり次第で、報酬も追加で用意がある。頼んだぞ」

「かしこまりました」

 そこで仕事の話も終わり、男は一礼して背を向ける。

「──これは、単純な興味関心なんですがね」

「言ってみろ」

「いくらレアな適性持ちとはいえ、流石にやり方がまどろっこしい気がするんですよ。出奔した実の娘を死んだことにしてまで取り戻し、勇者パーティーの一員とするなんて」

 ティゴに愛着がないなら、もう少しお金を積んで他所の素質ある者を擁立しても良いはずだ。そんな男の疑問を、父は鼻で笑った。

「フン。そう簡単にアレと同等の素材がいるものか。アレを候補にするのが最も大きな利益を見込める」

「そうですか。娘さんに勝る素質を持った者はいないと」

「揚げ足を取るなっ」

「これは失礼」

 機嫌を損ねた父の語気が強まる。男は肩をすくめ、含み笑いを漏らした。

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